もう1週間と3日前になりますが、アニメ「アイドルマスター シンデレラガールズ」の放映が終わりましたね。

まあ、泣いたとか微妙とか動きが少ないとか、ともすればシンデレラガールズのアニメ化は失敗だったとかいう気の早い発言まで、内外入り乱れてより取り見取りな感想が狭い狭い僕の観測範囲のなかでは渦巻いていたわけです。
正直僕も思うところがないわけではなかったので、ちょっと考えてみました。
僕は単刀直入が大好きなので、単刀直入に結論を書いた後に理由をちょっとだけ述べます。
結論としては、「単体のアニメ作品として歴史に残るような作品にはなれなかった。しかしながらアイマスの中の一作品として位置づけたときに求められていた役目は立派に、あるいは期待以上に果たした」でした。


まず前半部分、「単体のアニメ作品として歴史に残るような作品にはなれなかった」について。

「歴史に残るような作品」がまず何なのかという話で、画一的な基準を示すことは難しいのですが、僕は新世紀エヴァンゲリオンや攻殻機動隊、宇宙戦艦ヤマト、機動戦士ガンダムであったり、ドラえもんやクレヨンしんちゃんの中で特に一連の劇場版が該当するかなと思っています。
原作なしか、原作があったとしてもアニメのほうが原作より遥かに見てる人が多いような状態の(ように思える)作品です。

…まあ少し比べる相手が大きすぎるような気もしますが、こう書いて反論を受けにくいものとなるとこれくらいしか挙げられないとも思います。

とはいえ、これはある意味当たり前の話です。
アニメシンデレラガールズは、PROJECT iM@Sという大きな作品群の中の一つです。

古くは箱丸無印に始まり、最近ではデレステでのスマホの買い替え、近い将来にはPS4と、「アイマスが出るたびそのためだけに新ハードを買う」という現象、もはや月刊どころの騒ぎではなくなってきたCD群、シンデレラガールズ無印やミリオンライブのガチャ、各種イベント、ライブ、その他諸々で我々からうまい棒()を巻き上げ続けているアイマスの中の1作品がそれ単体で前述の「歴史に残るような作品」に対抗しようとは考えていなかったはずです。

もちろん意気込みとしては対抗してやる、くらいあったほうが良いですし実際あったでしょうが、現実的には。
そしてこの、アニメシンデレラガールズはアイマスの中の1作品であるという点が後半にまた出てくるわけですがそれはもう少し先の話で。

このアニメで監督を務められた高雄統子さんは、とにかく理詰めで構成やコンテを作られるらしいというのは電撃オンラインでの鳥羽P高橋Pのインタビューをはじめ様々なところから聞こえてきました。
演出の技法についての知識など全く無い僕としてはそういった理詰めの演出を考察する記事を見かけて読むたびに「ほぁ」と言うしかなかったわけですが、まあ鈍感な僕でもあれだけの回数、構図の韻を踏まれるとさすがに気付くわけでして。

しかし、残念ながらこの徹底的な構図の韻は僕へは鼻につく方向へ効いてしまいました。
せっかく作品世界に没入しようとしていたのに、構図の韻を出されるたび、「ああ、ここはあの話数のあそこと関連付けて比較させたいのね」と目覚めてしまう感覚。

同様に、24話の卯月のS(mile)ing!や25話の流れ星キセキでの文字演出も。
第1話のお願いシンデレラでそれを感じなかったのは踏まえる文脈がまだなかったからじゃないかと推測していますがまだよくわかっていません。


そして、僕が前述の結論の前半部分に至るにあたって一番大きな比重を占めているのが、卯月のエピソードにカタルシスが足りない、という点です。

カタルシスとは簡単に言えば、押し寄せる感動のことです。
感動はどのようにして引き起こされるかといえば、物語の展開によって生まれる「登場人物たちはどうなってしまうのだろう」という不安、ストレスが解決によって解放されることによって発生します。

この、感動の勢いが足りなかった。

高雄監督が作品を理詰めで作られるタイプのお方らしいというのは先ほど書いた通りです。
第7話で卯月が折れていなかった時点で、「あ、これはアニメアイドルマスターの春香を踏まえて、『一見絶対に折れなさそうに見える彼女の心がどのようにして折れ、そして立ち直るか』を最後に持ってくる気だな」と思ったわけで、14話以降たびたび描写される卯月の心にストレスが溜まっていることを示唆する描写に注目していたわけです。

その卯月(と視聴者)のストレスはたぶん第23話、卯月が養成所で練習しても練習しても不安がなくならず、鏡を背に座り込んでしまうあたりがピークだと思いますが、これが第23話の6分00秒(OPEDとCM抜きの時間、以降同様)。
12分55秒でAパートが終わり、これで6分55秒間。Bパートが丸ごと、9分45秒間。ここまでで16分40秒間。

第24話の0分00秒から、OP省略でAパートが終わるまでが9分50秒間。Bパートに入ってからS(mile)ing!直前の「島村卯月、頑張ります!」までが12分10秒間。
これで更に22分00秒間。

第23話と第24話合わせて38分40秒間を費やして、卯月が立ち直るまでの過程が丁寧に、これでもかというくらい丁寧に描かれ、視聴者のストレスはゆっくりゆっくりと解放されていきます。
結果、僕には感動の勢いが足りませんでした。
「うん、良い話だった」で収まってしまったのです。

もっとも、これにはこうなるに至った理由があるんだろうと思っていて、それが結論の後半部分なわけですけれど、予想以上に長くなってしまったので今回はこの辺で。